44 :夏の夜の夢 :2005/11/27(日) 17:58:48 ID:wY5/Q4dH

それは、夏も盛りを過ぎたころ。

夜遊び好きなローマ人たちも既に我が巣に引き上げてしまった刻限。

眠りに包まれた街を、一人の男が馬を進めていた。

そこにある音は、馬が時々吐き出す荒々しい息のみだった。

夜明けにはまだ遠い。


男はやがて、裏通りの一角にあるありふれた家の前で馬を止めた。

静かに馬を下り、誰も居ない街角で、しばし物思うように石造りの家を見上げていた。

その時、闇の中から、腰のひどく曲がった老婆が杖を突きゆっくり歩み寄ってきた。

白く濁った両目で不思議なほど正確に男を見据えて、ふっとため息をついた。

「いつか、お前さんがここに戻ってくると思っていたよ」

「…誰だ?」

全身で警戒する男の質問には応えず、老婆は長い物語を始めた。


ローマの老石工ジョヴァンニの末娘ルチアーナは、類まれな美貌と万人が抗えない魅力に恵まれ

父親に溺愛され、まさに我が世の春とばかりに奔放に生きていた。

だが数えて14歳の夏、生まれて初めて自分の意の通りにならない相手に出会った。


それは彼女が寄宿学校の夏休みに入り、一年振りの我が家に駆け込んだときだった。

蕩けてしまいそうに甘い顔をして迎えてくれるはずの父親が、ぎこちなく物陰に手招いて

そこから顔をすっぽり覆う白い仮面を付けた人物がひっそりと現れたのだった。

エリックという名前のその父の新しい弟子は、初めて会ったときから非常によそよそしく

最低限の礼儀は保つが、あくまでも恩師の娘として扱う態度を崩そうとせず、

そしてルチアーナの魅力にまるで気付かないかのように振舞った。

あまつさえ、頑として仮面を脱ごうともしない。

(なんて無礼な人!)

ルチアーナはそう思った。


「お嬢さん、おはようございます」

「わたしの名前も呼べないの?礼儀もない・・・呆れるわ・・・」

そこまで言っても彼の頑丈な鎧は揺らぎもしない。


(いや、そうではないのだ…)

男はあの時の感情をほろ苦く思い出していた。

初対面の一瞬でルチアーナの美しさは自分の心に焼き付いた。

彼女に心奪われ感情が制御できなくなるのを恐れ、本能的に身の回りに壁を築いてまわった。

あの頃はそうすることしか知らなかった。

そう、まだ若かったのだ…


高慢な少年に、自分に関心を持たせ屈服させようというルチアーナの願いは一向に果たせず、

逆にエリックの細い指から紡ぎ出される素晴らしい音楽にどんどん溺れていった。

それに彼の声は魅惑的で、知らずに聞き惚れている自分に赤面することもしばしばだった。

それがかえって彼女の自尊心を傷付けた。

父親が何か言いたげなのに気付かないふりをし、彼女の挑発は過激になっていった。

何ゆえここまで固執するのか、ルチアーナ自身にもよく分からないまま。

そして応えがないまま、お互い細かい傷を付け合うような日々を重ねた。


ルチアーナは新学期が始まっても、病みがちという理由でローマに残った。

…本当に蝕まれていたのかもしれない、いわゆる恋という名の病魔に。

彼女の病気は、年が明けても、再び夏が来ても、治癒しなかった。


万物には終わりというものがあるものだ。


それは夏のある日、ルチアーナの父親が所用で一晩家を空けたときだった。

ある朝、父親が恐る恐るという感じでその話を持ち出した時、企みをひらめいた。

「その日はアンジェラの家に泊めてもらうわ。あんな人と2人っきりでは恐ろしいわ!」

外で植木を刈っているエリックにも聞こえるように、声を高らかに張り上げる。

父親はほっとしたように言葉をもらした。

「ルチアーナ、お前が寄宿舎に戻っていてくれた方がどれだけ安心か…」

「じゃあパパ、わたしは邪魔者だというのね…?」

拗ねて見せると、慌てた父親は娘を宥める言葉を繰り広げる。

そうしてひとしきり父親を玩んでいる間も、植木を刈る音は止まなかった。

しかし、彼には一連の会話は確実に聞こえていただろう…


その日、夜が更けるまで待って、ルチアーナは家の鍵を開け、そっと屋内に入った。

エリックの地下室から流れていたピアノの音がはたりと止んだ。


男はあの夜のことを思い出していた。

自分は家に一人きりという開放感に酔いしれ、数ヶ月ぶりに作曲に没頭していた。

しかし夜も更けたその時、頭上で人の気配がしたのだった。

ナイフの存在を確認し、足音を忍ばせて素早く階段を上がっていった。

しかし居間の扉を開けた時、そこにいたのはルチアーナだった。

彼女は戸口に立ち竦む自分に向かって、宣言するように言った。

「一度あなたと話したかったの。パパが居ない所で」


ルチアーナは水差しからワインを一杯グラスに汲み、エリックに差し伸べた。

彼は操られるようにふらふらとルチアーナの傍に歩み寄って、しわがれた声で呟いた。

「…何を話したいとおっしゃるのですか?」

ルチアーナは用意していた話をすらすらと話し出した。

父親が自分たち二人の不仲を心配していること。

肺病病みの父はもう永くない。これ以上心配をかけるのは申し訳ない。

だからお互い努力して仲良くしようではないか。

「これは、その誓いの杯よ。受けて頂戴?」

エリックは戸惑ったが、とりあえず無言で杯を受け取り、一気に飲み干した。

そうして全身に軽い酔いが廻るのをじっと堪えた。

「わたしも飲むわよ?」

彼女はその白い首を波打たせ、ワインをゆっくり飲み干した。

ワインに濡れた唇がぞくりとするほど艶めかしい。

それが動いて、新しい言葉を紡ぎ出す。

「これでわたし達も仲良しね?」

エリックは全身を駆け巡る熱にぎくりとして、思わず顔を背けてしまった。

しまったと思う間もなく、少女は神経質な怒声をあげる。

「ひどい、そんなにわたしが嫌いなの?」

「努力はいたしますから、それでお許し下さい」

「どうしてわたしを避けるのよ?」

また堂々巡りだ…。

エリックは息苦しさを覚え、本能的に彼女の居ない所を求めて戸口に向かった。


少女は、思いもよらない行動に出た。

「エリック、待って!」

ルチアーナは素早く戸口の前に滑り込み、通せんぼするように立ちはだかった。

そして、少年の視線が自分に注がれていることを確認すると、静かに上衣を肩から滑り落とした。

その下には、薄絹のシュミーズしか着けていなかった。

エリックの目が信じられないというように見張られた。


おのれの下着だけ付けた身体を家族以外の男性の目に晒すのは初めてだった。

ルチアーナは微かに震えながら、少年の視線が全身を這うのを感じた。

エリックの息は今や明らかに荒々しくなり、その胸が上下するのがはっきり分かるほどだった。

「…これでも何も出来ないの?」

ああ、また忌々しい唇から毒々しい言葉が滑り落ちる。

止まらない。

ルチアーナは心の中で引き裂かれながら、少年の正直な下半身をねめつけた。

「本当はそんなに欲情しているくせに!」

嘲笑う。

エリックの握り締めた拳が大きく震える。

彼の身にまとう鎧にひびが入り、その中の嵐が見え隠れしているような錯覚を

悪魔のような自分が甘露のように味わう。

ああ、自分は何をしているんだろう。


エリックはただルチアーナを見詰めて、しかし、身動きもしなかった。

ルチアーナは涙がこみ上げてくるのを感じながら、衝動的に叫んだ。

「…意気地なし!」

そしてくるりと回れ右して、扉を押し開こうとした。

その時、後ろから2本の腕が伸びて少女の身体を掻き寄せた。


エリックの身体とここまで接近したのは初めてだった。

背中に感じる厚い胸板、汗の入り混じった匂い、そして耳に吐き掛かる熱い息。

ルチアーナは、彼が充分に成長した男であることを痛いほど理解させられた。


男の手がルチアーナの身体を薄布の上からゆっくりと愛撫してまわる。

急に怖気つく自分と、これから起こることに対する期待にぞくりとした。

「お願い、何か言って…」

エリックの腕が、痛いほどルチアーナの身体を抱き締めた。

しばらく後、万感がこもった短い一言が発せられた。

「…ルチアーナ!」

その言葉に込められた情熱に、少女は陶然とした。

自分が望んでいたのはこれだったのだろうか?


ふいにエリックがはっとしたようにルチアーナの身体を解放した。

数歩下がり、両手で顔を覆って呟いた。

「どうか許して下さい、大変失礼なことをしました」

ルチアーナは恍惚とした気分のまま、彼の前に立ってそっと言った。

「いいのよ、あなたの好きにして」

エリックはゆっくり両手を外し、ルチアーナをじっと見つめた。

その目からは今までのよそよそしい壁は外れ、抑えきれない情熱に溢れていた。

彼の視線に焼かれるような思いで、ルチアーナは両目を閉じた。

やがてそっとエリックの顔が近付く気配がし、冷たい仮面の表面が唇に触れた。

(仮面を付けたままキスしているんだわ…)


エリックはそっとルチアーナのシュミーズを脱がした。

綺麗な曲線を描く乳房の先端の桃色の乳首が、外気に触れてたちまちつんと尖る。

蝋燭の揺らめく炎に照らされる裸体を眺め、男は感嘆の溜め息をついた。

「あなたは本当に美しい…」

ルチアーナは恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆っていやいやした。


学校の寄宿舎で先輩たちが夜中にこっそり噂していた、いろいろなこと。

それを自分もとうとう経験することになるのかしら?



エリックはふふっと笑って、後ろから乳首をそっと手で覆った。

手のひらに感じるこりこりした感触がくすぐったく、愛らしい。

「こんなに綺麗じゃないか、恥ずかしがることなんてないのに…」

愛おしさにかられ、指で乳首をそっと摘み転がす。

ルチアーナは耐え切れないというようにエリックの腕の間で身悶えした。


エリックも仮面ひとつだけの姿になり、ルチアーナを床の敷物の上に組み敷いた。

自分の怒張がルチアーナの滑らかな肌の上を弾む感触に、気が遠くなる。

これでいいのだろうか…。

男は本能に突き動かされる頭の片隅で微かに、師に対する後ろめたさをおぼえていた。

その反面、このまま自分を抑えられず最後まで突き進むだろう、という昏い予感に酔っていた。


エリックの両手が楽器を奏でるときのように優雅にルチアーナの全身を撫でる。

やがてその口は乳首を攻め始め、両手は乳房や太腿を力強く揉みしだく。

ルチアーナはただ彼の肩に手を置いて、全身を委ねるしか出来なかった。

しかし初めて片手がそっと足の付け根に差し込まれた時は、さすがに抗った。

「大丈夫…、おとなしくしていれば問題ない…」

エリックの声を聞くと、不思議に従順な気持ちになる。

彼の指が再び繁みの中に忍び入った時、ルチアーナは自分の鼓動がまるで割れ鐘のように感じられた。


エリックの指はルチアーナの敏感な部分を的確に捉え、絶妙に操った。

自分は男の意のままに啼く楽器…

初めて知る快感にわななき気が遠くなりながら、ぼんやり思った。

彼の本当の顔に口づけたい。

その一念で、ルチアーナの手が男の後頭部を神業のように滑ったかと思うと

エリックの仮面が、少女の豊かな胸の上にはらりと滑り落ちた。

そうして、ルチアーナは彼の素顔を見たのだった。


どこかで絹を裂くような悲鳴が上がった。

…いや、それは自分の喉から出ていた。


ルチアーナの顔は一瞬で血の気が引き、その目は見開かれ、唇は恐怖にわなないていた。

「…そんなに醜いか!」

目の前の顔が苦しげに歪む。

「あんなに見たがっていただろう!もっと、心ゆくまで見るんだ!」

あの顔が、迫ってくる。

ルチアーナは目の前の顔から逃れようとした。

しかし男が激しく指を操った時、彼女は奥深くからの未だ知らない快感の波に飲み込まれ

…ルチアーナの記憶はそこで途切れた。


ルチアーナが意識を失ったのを確認して、エリックは力なく立ち上がった。

少女の白い首には、男の指の跡が赤く残されていた。

エリックはルチアーナの裸体を見下ろし、愛液に濡れた右手で行き場を失った己の欲情をしごき出した。

石造りの壁に、荒い息遣いのみがこだまする。

どうして取り返しのつかない事態に至る前に出て行かなかったのか?

激しい後悔の念に追い立てられるように、後始末を済ませる。

自分は人間と相容れない存在なのだと分かっていた筈なのに。

この世界にもしや自分の居る余地が残されているかも知れない、という甘美な期待に溺れてしまった…

しかし、夢はもはや醒めた。

もう二度と、同じ過ちは繰り返さない。

エリックは仮面を手に取り、自分を戒めるように刃を沈めていった。


目覚めた時、ルチアーナは何が起こったのか思い起こせなかった。

彼女は居間のソファの上に丁寧に寝かされ、身体にはマントが掛けられていた。

燭台に掛かったろうそくが、ちりちりと煤を吐き出して揺らめいた。

ぼんやりと石壁のでこぼこな表面にうごめく火影を眺めていた。

腰が重い…。

次の瞬間ルチアーナは全てを思い出し、跳ね起きた。


さっき愛を求めて抱き合った床の上に、エリックの仮面が落ちていた。

それは原形もとどめないまでに、ずたずたに切り裂かれていた。

エリックの絶望を目の当たりにして、ルチアーナは打ちひしがれた。


ルチアーナは涙を流しながら彼の名前を呼び、自分の愚かさを許して欲しいと請うた。

しかしエリックの姿は地下室にも屋上にも、家中どこにも見出せなかった。

彼の使っていた地下室は空っぽになり、厩にも彼の世話していた2頭の馬が見当たらなかった。

エリックは出て行ったのだ。


ルチアーナは絶望に打ちのめされ、夜闇の中にふらふらとさまよい出た。

それ以降、生きた彼女の姿を見たものはいなかった。


ローマの老石工は一晩にして愛娘と愛弟子とを失った。


語り終えた老婆を、男は悄然とした目で見据えた。

「…良く出来た話だな。しかし、私を誑かそうとしてもそうは行かない!」

老婆はふっと笑った。

「嘘かどうかは、お前さん自身がよく判っているだろう」

男は押し黙った。

老婆は男をしみじみと見つめて、呟いた。

「お前さんのことは、初めてローマに来た時からずっと見ていたんだよ」

「あなたは…」

「あの頃のお前さんは、まだ闇に染まり切っていなかったな」

そう言って、老婆は不思議な笑みを浮かべた。感嘆とも、憐憫とも言い難い、それを。


不意に遠くで鶏の鳴き声が一声響いた。

いつの間にか空は白み始め、夜が明けようとしていた。

二人は目を合わせ、暗黙の了解の下に立ち去ろうとした。

ひらりと馬上の人になって背中を見せた男に向かって、老婆は声を掛けた。

「ルチアーナと父親は、ここから北に行った教会に眠っているよ。行ってやると喜ぶだろう」

男はちらりと振り返り、無言で小さく頭を下げた。


やがて陽光が満ち、誰も居なかった裏通りにも人が溢れた。

闇の時間は終わり、ローマはまた新しい一日を迎えたのだった。




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