278 :1/3:2005/12/17(土) 13:53:32 ID:ySsk/s9y

冬枯れの、雪を頂く木立。ひっそり佇む墓石の群れ。

静謐たるべきその中に、今は時ならぬ金属音が響いている。

突如襲い掛かった男の剣を必死で受けながら、ラウルは叫んだ。

「もう止せファントム!彼女の気持ちが分からないのか?!

これ以上クリスティーヌを悲しませるのは止めろ!」

ファントムはマントを翻し、憎しみのままに鋭く打ち込む。

「この若僧が…!お前がクリスティーヌの何を知っているというのだ!」

「知っているさ、何もかも!僕たちは幼馴染なのだからね!」

ファントムは鼻を鳴らした。いくら幼馴染とはいえ、

我々が共に歩んだ日々はそう軽いものではない。

「…私はお前の知らないクリスティーヌを知っているぞ、シャニュイ」

不敵に呟くと、ファントムは飛び退った。

ぴたりと剣の切先をラウルに突きつける。

「クリスティーヌは…あの子は、13歳までニンジンが食べられなかった!」


猛然と打ち込まれる鋼の刃を、ラウルは自らの剣で受け止めた。

「それがどうした…僕は…彼女が3歳まで

…おねしょをしていたことを知っている…」

ぎぎ…と音を立てて刃と刃が擦れあう。

「しかも隠すため自分でシーツを洗おうと真冬の川に入り、

肺炎を起こしかけたんだ!」

一気にファントムを弾き飛ばす。

ファントムは体勢を立て直しながら唇を歪めた。

そのままラウルは剣を振りかぶり振り下ろす。

「その後薬を飲んだ振りをして、ベッドと壁の隙間に隠してたのがバレ、

ダーエ氏にこっぴどく叱られた!」


「く…!」

何とか受け流したファントムは、憎しみに瞳をぎらつかせた。

(オペラ座でも風邪の時同じことをして、

ジリにそれはもう叱られていた…)

唇を噛みしめながらもラウルを睨みつける。

「…歌のレッスン中にうとうとして礼拝堂の金網から

転がり落ちること3度!危ないので私が

ステンドグラスに改造したのだ!」

そう、オペラ座に来てからのことなら自分の範疇。

この約10年、5番ボックスから、天井の梁の上から、

はたまた楽屋の鏡裏から見守ってきた愛しい娘。

「身長、体重は言うに及ばず!靴のサイズから

左手薬指のサイズに至るまで、

私は彼女の総てを把握している!」


胸を張るファントムにラウルは勝ち誇ったように叫んだ。

「お前は知るまい、彼女が5歳のときに木から落ちて、尾てい骨を折ったことを!

…僕ははっきり覚えている。彼女のお尻に

大きなアザができていたのをこの目で見たんだからね!

今も彼女のお尻には跡が残っているはずだ」

「馬鹿な…まさか、そんな…」

ファントムは剣を取り落とした。2〜3歩よろめき、ラウルの顔を見つめる。

「…でたらめを言うな、この青二才!」

「でたらめであるものか。

さあ、クリスティーヌ!この男に証拠を見せてやれ!」

「そうだ!証拠があるなら見せてみ…!」

同時に振り返った2人の男は、凍りついた。

そこに佇む二人の思い人は、かつてないほど冷ややかな目をしている。


「「クリスティーヌ…」」

恋敵である2人の声が奇妙な2重奏を奏でる。

2人と1人の間をごうと音を立てて雪混じりの風が吹き抜ける。

圧し掛かるような沈黙の中、先に立ち直ったのは

修羅場慣れしたファントムだった。

背筋を伸ばし、マントを身体に巻きつける。

「勇敢なるムッシュウ、今日はこの位にしておいてやろう。さらば―――!」

ダーエ家墓所に駆け込もうとしたマントの裾を、ラウルが掴む。

「待て!僕を1人で置いてゆく気か…!」

「ラウル・ド・シャニュイ!」

姿を消すタイミングを狂わされ、ファントムはラウルを睨みつける。

(貴様が何とかしろ、何でも知ってる幼馴染だろう)

(都合のいいときだけそんなことを言うのか)

お互いの胸倉をつかみ合い、ぼそぼそと口論する男達の耳に、低い呟きが聞こえてきた。

「……せんから…」

「「…ク、クリスティーヌ?」」


歌姫はその端正な顔をゆっくりと上げた。

能面のような無表情。声は地を這うよりもまだ低く。

「アミンタ、歌いませんから。絶対」

冷たく言い切ると踵を返し、彼らの天使はすたすたと墓地を出て行った。

「……彼女の為に、書いたオペラなのに…」

「…困る、彼女が歌わないと、計画が…」

それぞれの理由から焦りを滲ませ、二人の男は面を上げる。

「「クリスティーヌ!!」」

しかしその呼びかけに応えるのは、

雪を孕んで木立を渡る冷たい風の音だけだった。




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