403 :贈り物 :2005/12/25(日) 17:57:13 ID:jz4SLnxC


「て・・・し、さま・・・」


「天使さま・・・・・」


深夜。静寂のなか、私はオルガンにむかっていた。

今宵はやけに冷え込んでいて、刺すようなピンと張りつめた空気がオルガンの音をすき間なく

連れ去ってより澄んだ音が響く。

なぜだか厳かな気持ちになる。

そのオルガンの音に混じって聞こえる囁くような小さな声。

声のする方へ視線を向けると、私のすぐ横にクリスティーヌが立っていた。

「天使さまぁ」

涙が溜まった大きな瞳が私に訴える。

───何度も呼んだのよ。

天使さまはわたしに気がつかなかったから、何度も何度も呼んだのよ───


彼女にすまなかったという気持ちもあり、私はいつものレッスンするときの声よりも

幾分やわらかい声で彼女の呼びかけに答えた。

「どうした?怖い夢でも見たのかな?」

彼女は瞳に涙をうかべたまま、首をふるふるふると左右に振る。

ひゅうっと湖の方からやってきた冷気が無数の蝋燭の炎を揺らす。

私の住処の岩肌は、いっそう寒さが身にしみる。

この子に風邪を煩わせる前にベットに戻さなくてはならない。

「では、どうしたのだ?・・・まだ、傷むのか?」

先ほど手当ては終えているのだが、もしやと少し不安を感じながらそう尋ねると、

彼女はやはり、ふるふるふると左右に首を振り、今度はそのまま俯いてしまった。


私は彼女の両腕の下にそっと手をさしいれて抱き上げるとオルガンの椅子から立ち上がり、

その椅子にそっと彼女を座らせた。

突然体がふわりと浮いて、椅子の上に降ろされたことに小さく驚いて、彼女が俯いた顔を上げ

「ぁ・・・」と私をみる。

私は、彼女と向かい合うように、床の上に膝を落とすとわずかにクリスティーヌの方へ

身を乗り出すようにして彼女の顔をのぞき込んだ。

「クリスティーヌ?」

クリスティーヌが私を見つめしばし沈黙する。

私は彼女を見つめ返すことで彼女を促した。

と、新しい涙がますます彼女の瞳を揺らす。

ぐすっ。

ついに小さくしゃくりあげると、彼女はぽつりと呟くようにいった。

「サンタさんは、来ないわね・・・・・・?」

「?」

「明日のクリスマス、サンタさんはきっと私のところには来てくれないわね?」

彼女が瞬きをすると、いままで瞳に留まっていた涙が、彼女の目から頬へと伝った。


───サンタクロースが、来ない・・・・・


「なぜ、そう思うのだ?」

私の問いに彼女が哀しそうに答える。

「だって、クリスティーヌは、いい子じゃない、から・・・・・」




ほんの数時間前のこと。

クリスティーヌは、どうしてもやりたくないのだと、歌のレッスンを頑なに拒んだ。

私が彼女に歌を教えるようになってからみた初めての彼女の抵抗である。


───いやなの、歌わない!歌いたくないもの!


歌がいやだとは?

一体どれほどの理由があるというのだ?

私がどんなに理由を問いただしても、彼女はただ歌いたくないと言うばかりだ。

彼女の抵抗はやがて駄々っ子のそれになっていき、手に負えなくなった私は、彼女を自分の膝の上に乗せ、

彼女がごめんなさい、ごめんなさいとついに泣き出し繰り返し言うまで、尻をたたくという少々手荒な

お仕置きを与えたのだ。


ぐすっ。

彼女はまた俯いてしまった。

───クリスティーヌは、いい子じゃない。

レッスンを拒んだ自分に対する罪悪感からか、私に与えられた罰によるものなのか、

いずれにしても今度のことは彼女に相当の罪の意識を植えつけてしまったらしい。

いくら歌のこととはいえ、こんな小さなこの子に、先ほどのお仕置きは

少々厳しすぎたのかもしれないと、

私はあらためて後悔の念が浮かんだ。



それにしても、サンタクロースとは。

彼女を哀しませる原因があまりにかわいらしくて、そして少しほっとする。

なんと返したらよいものかわからない私は、

「サンタクロースはわかっているよ。おまえがとてもいい子だと」

とありきたりな言葉を彼女にかけるしかなかったが、それでもクリスティーヌの表情は

いくらか嬉しそうな笑顔に変わり、私は心の中で安堵の微笑みをもらした。

やがて、クリスティーヌははっと何かを思いだしたように言った。

「天使さま?天使さまのところにもサンタさん、くるのでしょう?

天使さまは、わるい子じゃないでしょう?」

あどけない表情で無邪気に私をみつめるこの子に、私はなんと返していいものか今度こそ

見当もつかない。

神から、お前は存在してはいけないのだと、この人間の世界にいるべき生き物ではないのだと、

そう烙印されたこのわが身。

醜い化け物。汚らわしい怪物。

生まれついた罪人のように人の目を避け、神からも身を隠し、死を夢見ながら生きている怪人。

彼が、サンタクロースなる人物がもし一目でも私をみたら、一瞬にして彼を嫌悪と驚愕の炎で

焼き尽くしてしまうだろう、呪われし悪魔の子供。

己の顔がはっきりと自嘲めいた表情をつくっていくのがわかる。

私はすっと体を起こすと、座っているクリスティーヌに仮面の側を向けて立ち、

「さぁ。」

とだけ答えた。

クリスティーヌの表情が一瞬にして曇るのがわかる。

ただならぬ私の態度になにか聞いてはいけないことに触れた気がしたのかもしれない。

「そう・・・・」

と哀しそうにいった。

沈黙に居心地が悪くなったのか、私の表情と自分の膝の先をそわそわと交互に見ていた彼女が、

やがて何かを思いついたように表情を輝かせた。

「あ、あの・・・、わたしが天使さまのサンタさんになってあげる!」

にっこりと私をみてクリスティーヌが微笑む。

この新しい思いつきがよほど嬉しいことなのだろう、表情がきらきらと輝いてかわいらしかった。


「じゃぁ・・・、目を閉じてくださいな、天使さま」

すっかりうきうきとしたクリスティーヌの指示に、私は戸惑わずにいられない。

────目を閉じる

人前で一番無防備な姿を晒すことは、私にとって即、死を意味する────

こんな小さな少女の前ですら、怯え身構える自分がなぜだかとても惨めに思えた。

「ふふ、天使さま。目を閉じてくださいな?」

クリスティーヌがにこにこと誇らしげに、私にかわいらしく迫る。

その愛らしさに誘われるように、私はそっと目を閉じた。

「うふふふ」

くるくると楽しそうな笑い声。

クリスティーヌがさわさわと何かしている音がする。

次の瞬間、私の左の手首に小さな手が添えられる感触がして、そのままそっと持ち上げられた。

そして。

「天使さま、目を開けてくださいな!」

私はおそるおそる目を開けた。

先ほど同様、いやさらににこにこと誇らしそうなクリスティーヌが私の瞳に映る。

クリスティーヌの大きな瞳がすっと動き、私は彼女の視線に従うように、自分の左の手首に

目をやった。

手首には何か巻きつけてある。

白地に金色の縁の入ったリボンが、私の手首で蝶のように結ばれている。

言葉もなくクリスティーヌに視線を戻すと、先ほどまで結ばれていた彼女の髪が、

今はふわふわと下ろされていることに気がつく。

「クリスティーヌ、これは・・・」

「あのね、天使さま。私が一番大切なリボンなのよ。

だから、だからお父様と同じくらい大切な天使さまに、クリスマスプレゼント!」

ああ。

驚きと初めてのこの感覚に、私は、なんと答えたらいいのかわからない。

「あの・・・、天使さま?」

小さなサンタクロースが目の前で私を訝しげにのぞき込む。

左の手首にむすばれた贈り物は、まるで暖かな光のように私を包むような感じがした。


贈り物が結んである方の手をクリスティーヌに差し出す。

クリスティーヌを見下ろすと、彼女の重たくなってきた瞼をそっと擦っている反対側の手で、

私の手をぎゅっと握った。


さっきまで彼女が眠っていた、ベットへと向かう。

もう何も心配はないから、安心して眠れるねクリスティーヌ?

少しだけ、その愛らしい寝顔を見つめてから、彼女を起こさないようにそっとそっと枕元に置いておくのだ。

かわいらしい小さな小さな薔薇の飾りのついた髪留めは、

この子にはまだ大人びすぎていて、少しだけはやいだろうか───



クリスマス。

世間と神から疎まれる、サンタクロースとはほど遠い存在である罪深い私だが、今日は彼も許してくれるかもしれない。


手首に結んである贈り物は、もうしばらくこのままにしておこう。




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