266 :1 :皇紀2665/04/02(土) 00:55:34 ID:0kYLgKso

この華やかで浮ついた世界にいても、これまで一度も外泊などした事がなかった親友がこの部屋に帰ってきたのは、靄がかる早朝だった。

彼女の帰りを二人共同のベッドルームで待ちわびていたメグは、小さな物音に飛び起きる。

「クリスティーヌ」

彼女の服装は、昨晩失踪した時と同じ薄い部屋着のままだった。普段から陶器のような肌はいっそう青冷めて、身体は小さく震えていた。

 普段のメグなら言葉よりも先に駆け寄り抱きついただろうが、そんなことをすればクリスティーヌが壊れてしまいそうに見えて、おそるおそる近づく。

「クリスティーヌ、何があったの?」

「オペラ座の怪人にあったわ」

 言葉を発したことで、それがやっと幻などではなく本物のクリスだという事がわかる。それ位、今のクリスティーヌの様子は危うく、今にも消えてなくなりそうであった。

「ねえ、メグ。夜の生き物と交われば、いつか私も闇に飲み込まれてしまうのかしら?」

「何て事をいうの?昨晩何があったの?」

「わからない…夢だったのか、現実だったのか。本当のことを言うと今でさえも夢の中に…」

 そう言って額にかかった髪をかきあげる。その手首をみて、メグは息を呑む。

 ほっそりした手首には、くっきりと痛々しい縄目がついていた。

「オペラ座の怪人はあなたに何をしたの?」

 優しい形をしているメグの瞳の中に、これまで一度も表れた事がないような怒りの炎が燃えていた。


 オペラ座の怪人が私に何をしたか?

 これまで一度も経験どころか、想像さえもしたことがないこと。

 私にはなすすべもなかった。

 皮手袋を脱いだ彼の冷たい手に触れられる度に、その部分の存在を初めて気づかされるような。

 本能的な恐怖にかられ、手足を闇雲に動かして抵抗した私の手首に彼は縄をかけた。

 それからは、身体中を知り尽くそうと動く彼の指と唇と舌のなすがままに。

もう自分の意志では指一本動かすことも出来なかった。私の身体は、彼が望んだ通りの反応を、彼のためだけにする機械になった。

「いい子だ。クリスティーヌ。今はわからなくても、いつかわかる時がくる。共に闇へ…」



「ああっ…ああ」

 突然クリスティーヌは、自分自身を抱きかかえるようにしゃがみ込む。

 解放されたはずなのに、彼はずっと彼女の頭の中で歌い続けているのだった。

「クリスティーヌ」

 メグが彼女の肩にそっと手を置く。クリスティーヌは身をすくめ、その手から逃れた。

「やめて!触らないで…汚いわ…。メグにうつる」

 もう自分を抱きしめるのは、自分しかいないのだと。

 陽の光色のブロンド、明るい声。メグは太陽そのものだった。そんな少女に、闇をうつしてはいけない。

「クリスティーヌ。私の気持ちが信じられないのなら、実際に確かめてみて頂戴」

「メグ?」

「闇はうつったりしない。それを証明してあげるわ。クリスティーヌ」

 靄が晴れ、朝の光が薄暗かった二人の部屋にも少しずつ差し込んで来ていた。

 メグはクリスティーヌの前に立ち、夜着の紐を解き始める。

「やり方はわかっているでしょう?」

そう。やり方はわかっていた。忘れる筈がない。

昨夜起こった全てのこと。それをあなたに繰り返せと?

シュルと音をたてて、メグの足元に夜着が落ちる。

ああ、やっぱり。夢か現実かわからない。昨晩からずっと…。

混乱した頭を抱えながら、クリスティーヌもゆらりと立ち上がった。


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