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クリスマスツリー
:2005/12/21(水) 18:50:01 ID:cik5EyqT
父親と喧嘩をして以来、娘はとても不機嫌だった。
毎年楽しみにしているクリスマスツリーの飾り付けにも早々に飽きてしまい、飾り付けを続けている母親の姿をクッションを抱えながら見ていた。
「お母様」
優しい手つきでサンタクロースやエンジェルのオーナメントを、枝に吊るしていた母親が振り返る。
「なあに?」
「…お父様とはいつ出会ったの?」
先日、彼女の一番仲がいいボーイフレンドに髑髏の蝋で封をされた不気味な手紙が届いた。
クリスマスシーズンだというのに、おどろおどろしい警告に満ちたそれの差出人が自分の父親だと知って、娘は生まれて初めて眩暈のするような怒りを覚えた。
全く恥じる様子もなくお前の為にやったのだよと言いのける父親に、大嫌いという言葉をぶつけた。
今、父親は新作のオペラの締め切りが近いということで、屋敷の地下に篭っているので、彼女の怒りはそのまま持ち越されている。
面白くなさそうな表情の娘に、母親は聞きたい?と秘密めいた笑みを見せた
「ええ、聞きたいわ、とっても」
彼女は力を込めてそう答えた。
娘の眼からみても、今なお少女のようにほっそりとした美しく優しい母と、あの分からず屋で、変わり者の父がつり合うとは思えなかった。
「お母様がお願いしたの」
少し恥ずかしそうに、けれどしっかりとした口調で母親は言う。
その顔には、想い出を慈しむような笑みが浮かんでいた。
「お父様はお声だけで、お姿を見せて下さらなかったの。お母様はそんなお父様に会いたくて会いたくて。毎晩お願いしたのよ。どうぞ私の前に姿を現して下さいって」
「嘘!」
思いがけない答えに、娘は思わず抗議の声を上げる。
「嘘なんかじゃないわ。会えなくて悲しくて。姿を現してくれないなら死んでしまうって思いながらお祈りし続けたの…そうしてやっとお父様は姿を見せてくださったのよ…」
どうしても信じられない。
自分の生まれる前、母親はオペラ座の名高い歌姫だったという。
それならば演技も上手だろう。
自分を騙すことくらい、お手の物かも知れない。
納得の行かない気持ちで、娘は再び問い掛ける。
「…それで、会ってみてどうだった?会えてよかった?お父様に」
「何度も喧嘩をしたし、本当に色々あったけれど、会いたくて待ち侘びる日々が続くのと比べる事もできないわ」
「でも…!」
母親は、それ以上何も言わずにただ娘をみて微笑んだ。
なおも言い募ろうとした娘は息を呑み、母親を見つめた。
そうして思う。
例えどんな大女優だって、こんな演技は出来ないと。
利発で、勝気で、生意気盛りの娘は黙った。
意地悪な気持ちで、その質問をしたことを恥じた。
それを悟られないよう、彼女は急にやる気を出したように、ツリーの飾り付けを手伝い出す。
ツリーの枝が色とりどりのリースやオーナメントで一杯になり、娘が一息ついた時に名前を呼ばれる。
母親の手の平には、金色の星が乗せられていた。
「私達に出来るのはここまでね…」
どうしたい?と見つめられる。
「私…」
母親はいつもお説教じみたことは言わない。
それなのに娘はいつも彼女によってあるべき道に戻された。
時に悲し気な表情や、時に胸が締め付けられるような微笑みで。
「呼んで来るわ、お父様を」
星を受け取り、走って部屋を出て行く娘の後ろ姿をクリスティーヌは愛おしげに見送った。
広い屋敷の廊下を駆け抜け階段を降り、父親の仕事部屋になっている地下室のドアを叩く。
返事はない。
夢中で降りて来てしまったけれど、地下は苦手だった。
薄暗さと、冷えた空気に鳥肌が立つ。
もう一度扉を叩いても、ドアは開かず、物音もしない。
ふいに不吉な予感が彼女の脳裏を掠める。
顔を合わせなくなってもう丸3日たつ。
母親は食事を差し入れたりしていたけれど、自分は一度も顔を見ていない。
そんなわけはないと思うけれど、扉の中で父親にもしもの事があったら。
もう二度と会えなくなってしまったら。
「お父様!私よ!ここを開けて…お願い!開けて!大嫌いなんて嘘よ!大嘘よ!お願い、姿を現して」
ほんの少し前までは顔も見たくないと思っていた。
でも今は会いたい。
今すぐ会えなければ、寂しくて辛くてどうにかなってしまう。
「姿を現して!お父様」
お母様の気持ちが伝染したんだわ…。
娘は泣きながら扉を叩き続けた。
ガチャリとドアノブが回り扉が開き、やつれた顔をした父親がとうとう顔を出した。
昼夜の区別のない作曲の間に、少しだけ眠っていたのだろう。
疲れきった顔をしていたが、娘の姿を見るなり血相を変え顔を覗き込む。
「どうしたんだ?気丈なお前がそんなに泣くなんて、何があった?!」
扉の外の泣き声に慌てていたのだろう。
彼は仮面をつけていなかった。
いつもの一分の隙もない姿よりも、今の方がずっと好きだと彼女は思った。
その方が素直になれる気がしたから。
しゃくりあげながら、やっとの事で娘は声を絞り出す。
「…ほし…」
「何だい?」
「…忘れたの?…ツリーの星が飾れないの…いっとうてっぺんの星は、お父様じゃないと飾れないのに」
そこでやっと彼は、彼女の小さな手に金色に輝く星が握られていることに気付く。
そうだ。
毎年この季節になると、彼の背丈より高いクリスマスツリーを居間に飾るのだ。
妻も娘も、それを飾り付けるのを楽しみにしていて、彼はそれを見ているのが好きだった。
女たちでは手が届かないので、最後の仕上げに彼がソファーから立ち上がり、星を受け取り頂きに飾るのだ。
見上げるほどのツリーの頂上に彼の手によって星が輝くと、娘はことのほか喜んだ。
「…ああ、そうか。本当にすまなかった。…それは行かなくてはね。何をおいても」
「そうよ……お父様じゃなけりゃ…」
涙に濡れた顔で真っ直ぐに父親を見て、娘は握っていた星を差し出した。
確かにどんなに華やかに飾り付けられたツリーでも、頂上に星がなければ台無しだろう。
オペラの締め切りが迫っているのだが、そんな事は些細なことだ。
愛しい女二人が、彼を待っているのだ。
私じゃないといけないのだそうだ。
一人胸の中で呟き、彼は手の平にある星をじっと見つめる。
暗い廊下で本物のように、それは光輝いて見えた。
「…きゃっ…」
地下に慣れない娘が躓いたので、彼は手を差し伸べる。
娘はほんの少しだけ躊躇ったけれど、次の瞬間、彼の手の平に自分のそれを重ねる。
右手に星、左手に大切な娘。
この現実に比べれば、自分の書くオペラのなんとちっぽけなものか。
そうファントムは思った。
長い廊下の果てにある暖かい居間では、愛しい妻がツリーの前で彼と娘を待ち侘びていた。
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