476 :ファントム&クリス人形 :2005/05/07(土) 21:50:55 ID:nnykZERv


水門が開く音がした。彼だわ!私は耳をそばだてる。

イブはアダムの肋骨から作られたけれど、私は彼に耳から作られた。

彼の音楽を聴くために。やがて私の耳は彼の生い立ちを彼の苦しみを

彼の孤独を聞くようになったけれど彼の姿を見たのはそれからずっと後だった。

「クリスティーヌ、クリスティーヌ、君に私を見る勇気があるだろうか?」

彼は私に名前と同時に瞳を与えたのはごく最近だった。クリスティーヌ

私をそう名づけた彼は神の審判を待つ殉教者のように息を詰めて私を見つめて

いた。彼の目に浮かぶ希望・絶望、畏れと喜びは私は彼の声と同じく魅せられていた。

「微笑んでくれるんだね」安心したように私に言うと私の頬にキスをした。

それからは、湖のほとりにある彼の王国で私は彼と、静寂と音楽に囲まれて過ごしていた。

彼は私の創造主であり、主であり、夫であり、私だけの芸術家だった。

「君のためのアリアを作ったよクリスティーヌ」彼はオルガンを弾き湖の底に

響くような深い声で歌う彼と私は幾度も一緒に歌った。

知らなかったのだ。私は彼の歌を耳で聞くのに、彼は私の歌を彼の心で聞いて

いたことを。私に声があることを彼は知らなかった。だから届かなかったのだ。

自らを拷問にかけるように、時折仮面を外して鏡の前に立つ彼の側に行ける脚を

作って、慟哭する彼の仮面の下の顔を撫でることのできる腕を作ってという私の

言葉が。


彼が心で聞いていた私の歌、それを歌っているのは私ではなかった。

一緒に歌っているのは私なのに、いつだって彼の心に聞こえていたのは

私ではない人の歌声だったと私が気づいたのはその日だった。

ボートから岸へ上がった彼の足音に続くもうひとつの足音で私は彼が

独りで帰ってきたのではないことを知った。

彼はいつも私と歌っていた歌を歌っていたけれど、旋律は同じなのにまるで

別の歌のようだった。神を信じず神を認めなかった彼なのに、彼の歌声は

この世の生への歓喜とそれを与えてくれた神への感謝に充ちていた。

信じられない、信じられない、彼をこんな風に変えてしまったのは誰?

彼の歌声の後を夢見るように追う足音、甘いため息の主に私は憎悪を抱いていた。

2つの足音が私の前で止まって私の前にいたのは、私にそっくりの少女だった。

少女の隣にいる彼は今まで一度も私に見せたことのない幸せな表情に私は口の中が

苦くなり、彼にとって私は彼女のダミーでしかないことを思い知らされた屈辱と

私の気持ちなど顧みもしない彼の残酷さに血が凍るようだった。彼への報復に

「大嫌い・大嫌いよ。呪われてしまうがいい!」私は少女に呪いの言葉をぶつけた。


気を失ってしまったその娘を宝物のように抱えた彼が奥にある寝室に行かずに

彼の芸術の創造の場であるこの場所の白鳥のベッドに連れて行ったことが私にはショックだった。

奥にある彼の寝室、そこはこれまで幾夜も貴婦人や高級娼婦たちが目隠しをして正体不明の”怪物”

に抱かれる刺激を求めてやってきていた。時には何時間も馬車に揺られてここがパリのオペラ座

の地下だとすら知らず、怪物の館で怪物にわが身を汚されることに興奮する女たちに彼はいつも欲

望と軽蔑で報いていたのだった。そんな冷酷な怪物を飼いならそうとする彼女達の狂態を彼は怒号

・時には殴打で支配してきたのに、今の彼は気を失ってしまった少女の安息を守ることしか考えて

いない、怪物は天使になってしまった。湖の上にまで漂う阿片と彼が調合した香料は深い眠りに人を導く。

「おやすみ、私のクリスティーヌ。いい夢をご覧。」彼はカーテンを下ろすと

ベッドから一番遠い場所であり、彼を拘束できる唯一の場所、オルガンのある場所へ静かに歩いてきた。

彼はいつものようにオルガンを弾き始めたが、彼がつむぎだすその曲の完成を私は聞くことはできないだろう。

なぜなら彼が今演奏しているのは私の葬送曲でもあるのだ。芸術に魂を捧げた人だからこそ私は私の創造主で

あり私だけの芸術家であり夫である彼を愛せた。彼がどんなに残酷でも。

しかし、彼の魂はもはや芸術にではなく少女に捧げられているのだった。私の心は今夜葬られてしまった。

湖の上を彼の音楽が漂っていた。(完)


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