クリスティーヌは両親のものだった部屋で休むようになり、私たちは毎夜のように愛し合った。

しかしクリスティーヌの「描いている夢」の為にも、愛し合ってはならない夜もある事を2人でよく理解した。

愛し合う夜もそうでない夜も、どちらかが眠りにつくまでベッドの中で睦言を交わす。

聞きたかった事、言いたかった事、9年前知り合ってからの思い出やこれからの事など、

ずっとどちらかが寝息を立てるまで話し続ける。

そして、この数ヶ月間ずっと私が気になっていた事も─

地下で陵辱した時もしかして、あの時の狂気に満ちた愛の実を彼女の胎内に

結ばせていたのではないかという事だ。

しかし体の変化はとうとう見られなく、10歳の誕生日の日に初めて迎えた、毎月来たるべきものも

規則正しく訪れている、オペラ座に戻っても舞台に立って歌える、踊れる状態の

普通の体のままで今もいる事を話してくれた。

雪解けの季節も過ぎ、庭の花壇に植えた種が少しずつ緑の芽を出し花を咲かせていった。

時にはわずかな意見の食い違いから言い争いになったり、

時には屋敷の軒下に作られた野鳥の巣から落ちて死んでいた雛に一緒に泣いた。

そして亡くなった時以来訪れていないというクリスティーヌの母親の墓に、花壇の花を2人で供えた。

このように普通の人のような暮らしを私に与えてくれたクリスティーヌをこの世に送り出した

素晴らしい女性に私は心からの感謝をするのだった。



森が新緑に萌え始めた頃、終戦宣言が出され欧州の国々に平和が訪れたという記事が

新聞の見出しを飾った。

それは私たちのオペラ座への帰還を意味していた。

旅立ちの前日、シャニュイ子爵からスウェーデンで受け取るクリスティーヌ宛ての最後の手紙が届いた。

普段はそれに関しては2人とも決して語らない姿勢を貫いていた。

彼女は今迄来ていた手紙は全部自分の部屋で読んでいたようだが、その最後の手紙は

受け取った玄関で一度目を通すと、

「“あの夏の思い出の海は昔と変わらないかい”って書いてありますわ」

と言った。

「そうか・・・帰ったら“冬だったのでわからないわ”とでも答えてやれ」

と、私は口元に皮肉な笑みを浮かべて、トランクに荷物を詰め続ける。



「不思議・・・なんだかマスターじゃないみたい・・・」

来た時と同じ姿格好に整えた、仮面をつけた私の顔を珍しげに眺めてクリスティーヌはそう呟いた。

私はスウェーデンに到着した数日後から今日まで、一度も仮面をつけていなかったのだ。

「行きはずっと休まずに乗り継いで来たのだよ、結構大変だった。しかし、一刻も早く

会いたかったのでな、そうしたのだ。

帰りはちゃんと宿に泊まりながらいこうか、何も急いでオペラ座に帰らなくても良いのだから。」

「でも楽譜の到着を支配人様やマダムが待っていますわ。」

「私のことは待ってはいまい。」

「そうかも知れないですね、ずっとここにいればよかったのにって言われるかもしれませんわ」

クスクス笑いながらクリスティーヌは、金の指輪を薬指にはめた左手に、楽譜を入れた

スコアバッグを持ち自分の生家の鍵を閉めた。

私たち2人が旅立った後のダーエ邸のマントルピースの上には、海でたくさん拾った貝殻のうち、

白色と、それより少し大きめの灰色の、ふたつの貝が飾られていた。




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