591 :初めて地下から帰ってきたあたり :2005/11/06(日) 10:20:40 ID:X3+ni0Sq

眠れないままクリスティーヌは枕に顔をうずめた。

夜明けまでにはまだ間があるようだ。

部屋は暗いが、闇に慣れた目には鏡台の上のセーヴルの花器が見える。

花器には質素な部屋には不似合いな、白い薔薇の花束。


「シャニュイ子爵があなたに会いたいとおっしゃったんだけど、

 ママがお断りしたの。代わりに、これをあなたにって」

そういって、昼間メグが持ってきてくれたものだ。

大好きだった幼馴染が素敵な紳士になって現れ、しかも私を覚えていてくれた。

無邪気に再開を喜び合い、子供のときの話にはしゃいでいた時から

たった一晩しかたっていないのに、私はなんと変わってしまったのだろう。


花束から視線を逸らし、ベッドのサイドテーブルに視線を送る。

その上に載った一輪の薔薇は確かに赤いはずなのに、

今は闇を吸ったように影の中に鈍く沈んでいる。

クリスティーヌは上掛けからそっと腕を出し、手を伸ばした。

やがて指先が黒いリボンに触れる。滑らかな手触り、触れている部分から

細波のような何かが身体全体に拡がり、クリスティーヌは思わず目を閉じた。

そのまま指でそっとリボンを撫でる。

黒く、滑らかで、ひんやりしているのにその奥には熱を持って―

いつしか閉じたまぶたの奥で、リボンは黒い皮の手袋へと変わってゆく。


腰を撫で胸元を辿り首筋を這い上がる。

甘い声が後を追うように、衣服を透して素肌にまとわりつく。

皮の立てる掠れた鳴声、レースの擦れる乾いた音。

背を預けた厚い胸の体温、傾けた首筋にかかる息遣い。

身体があの時受けたすべての刺激を反芻する。


不意に背筋の産毛がちりつき、下腹にざわりとした熱が生まれた。

意識を逸らそうとすると、まるで頭の中で鳴り響くように歌声が聞こえる。

”魂のくびきを解き、我が音楽に屈するのだ。

恐れずに味わえ…お前の心の闇が欲するものを”

甘い声は毒のように全身を侵す。

声の導くまま掌を自らの腰に這わせる。身体のラインをなぞり、胸、喉、唇。

”身を委ねよ、夜の調べに…!”

脚を突っ張り、背を撓め、首を反らせ―


「いやッ」

クリスティーヌは小さく叫んで目を開いた。

身体に残る何かを追い出そうと身じろぎする。

荒くなった呼吸を落ち着かせるため、痺れるほどにシーツを掴んでいた指を開き、

掌で早鐘のように動く心臓の上を押さえた。

「いや…」

悲しいのか、怖いのか、嫌悪かそれともそれ以外の何かなのか、

説明できない感情が押し寄せ、溢れ、目の端から次々と零れる。

涙でにじんだ瞳に、ほのかに白いものが映った。

闇を微かに照らす白い薔薇。

「ラウル…」

”お前は、私のもの…”

「……」

幼馴染の名をもう一度呼ぼうとしたが、震える唇は音を紡いではくれなかった。

シーツの中で身体を丸め、自らを抱きしめる。

朝など忘れたような深い闇の中で、クリスティーヌは夜明けの訪れを願い続けた。



back












SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送