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ファントム×クリス(嫉妬編)
:2005/06/12(日) 00:52:24 ID:ypN57j6M
私たちが初めて結ばれてから、もう一週間が過ぎた。
この一週間、私たちは歌の稽古をしながら日中を過ごし、そして、私は夜ごと彼女を愛した。
私に抱かれるたび、私を見つめる彼女の眸には暖かく優しい光が宿っていくように思え、
その眸を見ながら私はいつも、私の人生にたったひとつ咲いた可憐な花である彼女を
この世の誰より幸福にしてやらなくてはと思うのだった。
だから、明日から新作「イル・ムート」のリハーサルが始まるにあたって、
今夜にもクリスティーヌを返さなくてはならないことは以前から承知していたし、
彼女のキャリアを思えば、この作品で伯爵夫人を演じて芸の幅を広げることは重要な意味を持つと
私自身も考えていた。
そのために、あの新しく来た支配人どもにクリスティーヌをカルロッタの代役にするよう手紙を書いたのだ。
代役であれば、通し稽古で伯爵夫人のパートを練習できるし、既に私と一緒に伯爵夫人のパートを
稽古済みのクリスティーヌの実力が際立つわけだった。
しかし、彼女のキャリアのためとは言え、彼女と離れることがこんなにも辛いとは・・・!
身を切られるほどの辛さとはこのようなことを言うのだろうか。
十日前、彼女の手を引きながら降った階段を、今度は彼女の手を引きながら昇る。
楽屋の鏡の前で、私は彼女を抱きしめ、こう言った。
「公演の最初の夜に迎えに来る。この部屋で待っていておくれ。いいね?」
彼女は生真面目な表情で「はい」と返事をすると、鏡の裏へと消えていった。
さほど名残り惜しそうな様子も見せてくれなかった彼女を恨めしい気持ちで見送ると、
先刻ふたりで昇った階段をひとり寂しく降りていった。
彼女にはどこか子どもじみたところがあって、どんなに私の下で嬌態を見せていても、
心は何も知らない無垢な少女のままでいるようなところがあった。
だから、あの夜、私に寂しいとか離れたくないといった愛想のひとつも言えなかったとしても、
男女の機微に長けているわけではない彼女のことだから、不思議はないとも言えた。
味気ない気持ちは残るが、そんな彼女の欠点すら愛しくて、次に会えたときには前に増して
優しく大事にしてやりたいと思うのだった。
一週間の通し稽古が終わり、公演が始まった。
カルロッタが、突然声が出なくなったため、クリスティーヌが代役で伯爵夫人の役を演じた。
クリスティーヌは見事にその役を演じきり、彼女の新しい魅力にパリじゅうが拍手と賞賛を送った。
───── 我が家で稽古をつけた甲斐があったというものだ。
私たちふたりでおさめた勝利に酔いながら、鏡の後ろで彼女が楽屋に入ってくるのを待つ。
彼女に会ったら、うんと褒めてやろう、歌だけでなく身のこなしがいかに素晴らしかったかを教えてやろう・・・・、
その時に彼女が見せるはずの、はにかんだ笑顔を心に思い描きながら、彼女が楽屋にあらわれるのを待った。
とうとう彼女が楽屋に入ってきた。
私が贈ったバラを手に取り、あたりを見わたす。私の姿を探しているのだ。
クリスティーヌ・・・、と声を掛けようとした、その瞬間、部屋中に無粋なノックの音が響いた。
大きな花束を抱えた男が楽屋に入ってきた。
新しくオペラ座のパトロンになったシャニュイ子爵だ。
彼が楽屋に来たことは驚くに値しない。
なぜなら、彼は「ハンニバル」の夜から私のクリスティーヌにつきまとっているのだから。
驚いたのは、ヤツが入ってきたときのクリスティーヌの様子である。
楽屋に入ってきたのが彼だと認めた途端、その双眸が輝き、口の端には笑みがのぼった。
「今夜も素晴らしかったよ、ロッテ。君は歌だけなく、演技の才能もあるんだね」
「ありがとう、ラウル。あなたにそう言ってもらえて嬉しいわ」
嬉しそうに笑って答えるクリスティーヌを信じられない気持ちで眺める。
「今夜こそ、君を食事に誘いたいんだけど、どうだろう?」
「ラウル・・・、ごめんなさい」
「もう、約束が?」
「ええ・・・・、残念だけれど」
なぜ、残念だなどと言う必要があるのか・・・・。パトロンに対する世辞なのか? 私には愛想ひとつ言えない彼女が?
「こんな直前に誘って、君が空いていると思う方がどうかしているね。では、この次は僕とだよ。きっとだよ、いいね?」
そう言って子爵が楽屋から出て行った。
クリスティーヌはふたたび私のバラを取り上げ、バラに巻いたリボンを少しずつほどこうとしている。
クリスティーヌ・・・、と鏡の中から呼び掛ける。
鏡の方に振り返った時の眸の輝きが、先ほどと較べて鈍く感じるのは、私の気のせいだろうか。
「マスター・・・・、ずっと待っていたのよ」
「本当かね? 来ない方が良かったんじゃないかね?」
我ながら驚くほど、冷たく陰気な声が出た。うんと褒めてやろうと心に決めていたのに・・・・。
「?」
「私が来なければ、あの子爵殿と食事に行けただろう?」
「そんな・・・・。だって、今夜お迎えに来てくださるって・・・。この一週間ずっと待っていたのに・・・・」
悲しそうに俯く彼女を見て、後悔が襲う。
「ああ、クリスティーヌ、すまない・・・・」
そっと彼女を抱き寄せた。彼女の手がおずおずと私のテイルコートの襟に伸びる。
その手を取って口づけると、強く抱きしめた。
彼女の甘い体臭が鼻腔をくすぐる。喉元につかえていた黒い塊がゆっくりと溶けていく。
「そんなことを言うつもりじゃなかったんだ・・・。今夜のお前がどれほど素晴らしかったか、
どんなにお前を誇りに思っているか、そう言うつもりだったんだよ」
彼女が私の胸の中で顔を上げ、そして、ようやく今日初めての私への笑顔を見ることができた。
「次は、公演の最終日に迎えに来るよ。それまで、ちゃんと食事してよく眠って、喉を痛めないようにしなさい。いいね?」
彼女を充分に愛した翌朝、鏡の前でそう言い渡して彼女を送り出した。
そして、今日が公演の最終日だった。
ようやく彼女の顔を見られる嬉しさに、約束の時間よりかなり前に彼女の楽屋に来てしまった。
この一週間というもの、彼女の歌声を聞きながら、彼女に会いたくて会いたくて堪らない気持ちを
抑えるのに大変な努力が要ったのだ。
少しくらい早かろうが、彼女だって早く私に会いたくて、時間より前に楽屋に来るかも知れないではないか・・・。
その時、楽屋の外に人の声がし、私はとっさに鏡の裏に身を潜めた。
扉が開き、クリスティーヌとシャニュイ子爵が笑いながら入ってくる。
「ロッテ、今夜も食事に行かないかい?」
「あら、今夜はだめよ」
「最終日は他の誰かとデートってわけか」
「そういうわけではないけれど・・・・。今日はお稽古をつけてもらう約束なんですもの」
「まぁ、いいさ。夕べ、ようやく君と食事に行けて、本当に嬉しかったよ。
メニューを決めるのに、あんな風に議論できる女の子なんて、君くらいしかいないね!
あの夏の思い出を君と語れて本当に懐かしかった。またいつか、続きを話そう、ロッテ」
──── ロッテ? 食事? メニューを決める議論? あの夏の思い出?
自分でも顔が強張り、血の気が引いていくのがわかる。
そのくせ、心臓だけはものすごい速さで血液を全身に送り出し、息遣いが荒くなっていく。
気がつくと、マントの中で拳を握り締め、肩で息をしている自分がいた。
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