134 :ファントム×クリス(苦悩編):2005/06/29(水) 01:18:46 ID:0WWVQdvt

クリスティーヌの楽屋で彼女を抱いた翌日から、クリスティーヌはひどい風邪を引き込み、

しばらくベッドの上で暮らすことになった。

薄物しか着せず、靴も履かせずに彼女を連れてきたこと、寒い水辺で話し込んでいたこと、

その時に彼女がマントから腕を出していたこと……、私は自分自身を締め殺してやりたいと思うほど

自分の過ちを激しく後悔した。


彼女はしばらく寝込んだが、五日目の夜、私は初めてクリスティーヌに声を出す許可を与え、

六日目の夕方には風呂を使わせ、食卓で夕食を取らせるために起き出してよいと言った。

その夜、夕食の後のひと時、しばらくぶりに色々な国の伝説などを話してやってから、ベッドに連れて行った。

「風邪が治って本当に良かった。

苦しい思いをさせて本当にすまなかった、私のせいでおまえに風邪を引かせてしまって……。

あとしばらくしたら「ハンニバル」の通し稽古があるから、それまでは大事にしないと。

追加公演はしばらく続くのだから、しっかり眠ってきちんと風邪を治さなくてはね。

今夜もゆっくり休みなさい、ちゃんと暖かくして寝るんだよ」

彼女の上掛けを喉元まで引っ張り上げ、膨らんだ上掛けを軽く叩いてから、彼女の額にそっと口づけし、

ベッドサイドに置いた蝋燭を消そうと身を屈めようとした、その時、クリスティーヌが上掛けから腕を出し、

私のガウンの袖を引っ張った。

「こらこら、腕を出してはダメだよ、ちゃんと暖かくしてと言ったろう?」

軽く諫めながら彼女の腕を取って上掛けのなかにしまおうとすると、クリスティーヌが

「マスター……」と私を呼んだ。

甘えるように囁くその声音、私を見上げる潤んだ眸……。

「今夜はダメだよ、まだおまえは本調子じゃないのだから……」

わずかに抵抗を試みたものの、私は結局クリスティーヌに負けてしまった。


ベッドの中で、風邪が治ったら馬車でブローニュの森に行くという約束をさせられた。

達した余韻で潤んだままの眸を向けられ、「マスターと一緒にお出掛けしたいの……、だめ?」と言われて

言下に否定することなどできなかった。

しかし、それでも最初は一緒に食事を、と言い張っていたクリスティーヌをどうにか宥め、

馬車でのドライブを納得させたのだった。


二日後、夜闇にまぎれてオペラ座裏から、あらかじめ手配しておいた箱馬車に乗り込んだ。

御者には既に指示しておいたので、ステッキで御者席との間の窓をコツコツと叩くだけで馬車は出発した。

窓外をパリの灯りが流れていく。

クリスティーヌは、私の隣で窓にしがみつくようにして流れる灯りを追っている。

ふと、彼女が「昼間だったらもっといっぱい色んなものが見られたかしら」と言った。

私にとっては出来ない相談だが、彼女はまだ私の仮面の下を知らないのだから、無理もない。

むしろ、昼間に出掛けるのなら、私が仮面をはずすのではないかという期待があるのかも知れなかった。


このところ、クリスティーヌが私の素顔を見たいと切望しているらしいことは何となく感じ取っていた。

口づけしているときに仮面に触れることが多くなったし、私の下で悦びを味わっているときにも手を伸ばして

仮面に触れてくることがある。

彼女が自分を抱く男の顔を見たいと思うのは当然のことだった。


クリスティーヌが私に愛情を抱いてくれていることは今や明白で、こうなって私ははじめて、自分が正体を

隠したまま彼女を抱いてしまったことを激しく後悔した。

最初は、ただ一度だけ、彼女の美しい裸身を見られたら満足だと思っていた。

己のこの手で彼女を絶頂に導くことができれば、身体の結びつきがなくとも、私の刻印を彼女の身体に刻んだ

ことになると思っていた。

しかし、一度彼女の美しい乱れ姿を目にしてしまうと、自分の気持ちを抑えることができなくなってしまった。

彼女に自分から求めるように仕向けてその純潔を捧げさせ、その後は坂道を転がり落ちるように、

彼女から返ってくる愛情と信頼を得たくて何度も彼女を抱いた。


あの楽屋での一件では、さすがに彼女の愛情と信頼とを失ったかに思えたけれども、

彼女は、確かに私のやりように怒りもしたろうし、悲しい思いもしたろうが、キスもしてくれなかったと言って

泣いただけで、それ以上に私を責めたりもしなかった。

しばらく後の閨での睦言に「ラウルにやきもち焼いたんでしょう? マスターはやきもち焼きなのよね。

あの時はひどいと思ったけど、でもね……、あのね、ちょっと嬉しかったの……」と言って微笑んだほどだった。


しかし、クリスティーヌが私への愛情を示してくれればくれるほど、その愛を失いたくなくて、

彼女に真実を告げることができないでいるのだった。

ひとり孤独のうちに過ごしていた頃には知らなかった執着でもって、私は彼女との時間にしがみつく。

私の素顔と正体を明かそうと何度か決心したこともあったが、どう考えてみても彼女がありのままの私を

受け入れ、今と変わらず愛してくれるとは思えなかった。

─── このままもうしばらく彼女との時間を過ごしたら、何か理由を作って彼女を地上に返そう、

しばらくは私を恨むだろうが、醜い化け物に犯されたと思われるより、不誠実な男に騙されたと思われる方が

ずっとましだ、そして、私の正体を知らないまま、師であり恋人であった私を記憶していてもらいたい……、

最近ではそう考えるようになってきていた。


「ねぇ、マスターはちっとも楽しそうじゃないわ、どこか具合でも悪いの?」

私は長い間考え込んでいたのか、クリスティーヌが怪訝そうな顔でこちらを見ている。

「そんなことはないよ。おまえと一緒にこうしてふたりきりで出掛けられて、とても嬉しいよ」と笑顔を向ける。

「そう、それならいいけれど」とあまり納得はしていない声で答えながら、ふたたび窓の外を眺めはじめる。

あまり熱心に外を見ている彼女を見て、それほどに地上の世界が恋しいのかと思ったり、

普段地下でしか会わない私とこうして外に出ることが嬉しいのだろうかと思ってみたり、

私の心は千々に乱れるのだった。


窓外ばかり見ているクリスティーヌをこちらに振り向かせたくなって、後ろからそっと肩を抱いてみる。

果たして彼女は私の方に向き直り、「マスター」と嬉しそうに私を呼びながら私の胸に顔を埋めてきた。

彼女の甘い体臭が鼻腔をかすめ、愛しさに胸がいっぱいになりながら、彼女の頭に頬を寄せる。

いつものはにかんだ笑顔を向けた彼女にそっと口づけた。


森に着くと、その場で待つよう御者に指示を与えてから、ふたりでしばらく辺りを散策することにした。

月明かりに照らされた噴水を眺めながら、手を繋いで歩く。ふと彼女が足を止め、じっと私の顔を見つめた。

ただならぬ様子のクリスティーヌから、彼女が仮面の話しをしようとしているのだと確信した私は、

彼女が意を決したように口を開こうとした瞬間、「ごらん、あの競馬場を。つい数年前に移転してきたばかりだが、

移転してすぐに、フランスで初めてのダービー馬が走ったんだよ」と言って遮った。

「え、ええ……、そうなの?」とクリスティーヌが答える。

「そうなんだ。もともと競馬は貴族のためだけのものだった。そうだな、ちょうどおまえが生まれた頃だろうか、

その頃に一般の市民も競馬を見られるようになったんだ。そして、それからしばらくして皇帝がシャンドマルス

競馬場をこのブローニュの森に移転させたんだよ」

「シャンドマルス競馬場……?」

「いや、こちらに来てからはロンシャン競馬場と呼ばれているがね」

私らしくないと思いながら、彼女に仮面の話を持ち出されるのが怖くて、つい饒舌になってしまう。

まだ、もう少し、あともう少し、クリスティーヌとの幸せな時間が欲しかったから……。


馬車を待たせておいた場所に戻り、彼女を先に馬車に乗せ、続いて私自身も乗り込もうとした時、

近くに停まっていた馬車の扉が開いて、聞き覚えのある声が「クリスティーヌ!」と呼ぶのが聞こえた。

慌てて馬車に乗り込み、扉を閉めると、ステッキで窓を叩いて「やってくれ!」と命じる。

既に馬車に乗り込んでいたクリスティーヌには、子爵の声は聞こえていなかったらしく、

「楽しかったわね」と私に笑顔を向けてくる。

「そうかね? おまえがそんなに喜んでくれるのなら、またいつか来ようか」と答えながら、

恐る恐る後ろを振り返ってみる。馬車に追いつくことができなかったのか、子爵が追いかけてきている様子が

なかったので、ほっと胸をなでおろす。


なぜあんな場所に子爵がいたのかはわからない。しかし、ちらりと見えた彼の馬車の中には数人の人間の影が

認められたから、おそらく友人たちとの食事の帰りか何かだったのだろう。

あるいは、夜の淑女を求めて街へと繰り出してきたのかも知れない。


せっかくのクリスティーヌとの時間に、こうして恋敵のことなど考えていても仕方ないと思いつつ、

しかし、子爵の若さ溢れる美貌を目の当たりにしたことで、私の中に焦燥感と嫉妬心が生まれてきつつあった。

あのような美貌でなくともよい、せめて普通の人間の容貌を持って生まれていれば、こんな風に思い悩むことも

なく、クリスティーヌとふたり幸せになれたのだろうか……。

いや、少なくとも今、彼女を乱れさせられる男はこの私だけだ、それだけで満足しなくては……。

そう考えているうち、どうしても、今ここでクリスティーヌが欲しいと思い始めてしまった。

頭の先から爪先までを熱く火照らせて私を求めるクリスティーヌの姿を見なければ、気持ちが治まらなかった。



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