249 :ファントム×クリス(スウェーデン編) :2005/07/17(日) 15:35:49 ID:SFxzZ+V9

汽車の乗り換えを何度となく繰り返しながら旅を続けていた。

さすがの私でも旅疲れが出てきている、何しろ生まれて初めての経験なのだ。

途中で宿に泊まりながら旅を続けてもよかったのだが、1日でも早く、1秒でも早くクリスティーヌの元へ

辿り着きたかった。

クリスティーヌがオペラ座を去って今日で1週間が経っていた─

手紙の1通も残さずに、私の前から忽然と姿を消してしまった。あの日の翌日の事であった。

あのような仕打ちを受けてならそれも当然だと自分を責め、取り返しのつかない過ちを

犯してしまったわが身を呪う。

「クリスティーヌ・ダーエは故郷に帰りましたわ。いつパリに戻るかはわかりません。」

ここ最近、オペラ座は興行収益が芳しくない状態であり、そんな中新しいスターである

クリスティーヌをなぜ故郷に帰してしまうのかと噛み付かんばかりの勢いで詰め寄る私に、

マダム・ジリーは訝しげに続ける。

「なぜムッシューは何も御存知ないのです?

ダーエは当劇場の大切な用でスウェーデンの生家に帰したのですが、あの子から聞いていませんの?

何かダーエとおありになったんですの?」

「いや、・・・何も無い。それよりマダム、クリスティーヌの生家の住所を教えてはくれまいか」



オペラ座から出てパリ駅に向かい、汽車を乗り継いで旅をする。しかもいくつか国を越えて。

私には大変に勇気のいることだったが、しかしこのままクリスティーヌと別れて暮らす事などは

死よりの苦しみであり、彼女のいない人生など私にはもう何の意味も成さないものなのである。

コンパートメントには私1人きりだが、マントのフードを深々とかぶり、時々廊下を通る人の目を

避けるようにずっと外の景色を眺める。

初秋とはいえ、欧州のこの肌寒い時期、駅でも汽車の中でも人々は少しでも肌の露出を避ける為、

ケープやマフラーなどで顔を包んでいる。

そんな人々にまぎれ、私はここまでどうにか難なく旅を続けられてきた。

先ほど乗り換えた駅で、私にとって驚くべき光景があった。

腕の無い者、または足を無くしている者、そして、顔全体が焼け爛れてもなお素顔のままで

堂々と闊歩する人々・・・

乗り換えの列車に乗車する前に求めた新聞で初めてその理由がわかった。

わずか数ヶ月前までこのあたりの国は戦争中であったのだ。そして今もまだ

各地で内乱が続き、情勢が乱れている。

そんな治安の不安定な地域でクリスティーヌは果たして無事に旅を終えられたのだろうか。

いつまた戦争が勃発しても不思議ではないこんな危険な旅路を彼女は1人で辿っていったのだ。

心配で心配でたまらない。

きちんと食事は摂れているのだろうか、伝染病にかかったりしていないだろうか、

まさか強盗などに遭ったりしていないだろうか・・・

こんな事になってしまったのはすべて私の責任なのだ、どうか無事でいてくれクリスティーヌ。



海を越え、とうとうスウェーデンに入ったとたん景色は森だけしか見えなくなっていった。

明日はいよいよストックホルムに到着する。

食欲はなかったが、回ってきたワゴン売りの夕食も済ませ、ブランデーを時々口に含ませながら、

明日クリスティーヌに会ったらまず何と声をかければ良いのか・・・と考え込む。

決して許してもらえるとは思っていない、しかしどうかオペラ座に戻って来て欲しい。

シャニュイ子爵との事も─

クリスティーヌがどうしてもというのであれば、私は、私は身を─


「クリスティーヌ!」

廊下に若い男の声が響く。

ふいに私はバッと席を立ち、コンパートメントの扉を開けた瞬間、前の通路を

小さい女の子が走り去っていく。

「待ちなさいクリスティーヌ!走っては危ないよ!」

先程聞こえた声の主が、その女の子の後を追って私の前を通り過ぎていく。

ああ、と深いため息をつき、扉をゆっくり閉め倒れ掛かるようにまた椅子に座ると、廊下から

「パパ、だって退屈なんですもん」

「もう今日はお休みする時間だよ、明日はもうお家なんだから」と、父娘であろう、会話が聞こえてくる。

呆然とまた真っ暗な車窓の景色を眺めていた。



北欧の冬は厳しい。マイナスが最高気温のこの地は絶えず容赦ない寒風が吹きすさぶ。

ますます酷くなる吹雪の中、ダーエ邸の前で軽いトランクを持ったまま立ち尽くす。

「まるでロックウッドが初めて尋ねた時の嵐が丘みたいだな・・・」

深い森の手前にぽつんと、世の喧噪から見事に離れて佇むクリスティーヌの父親の屋敷。

小説の中のような豪邸とまでは言い難いが、馬車の御者に邸名を伝えただけで真っ直ぐ到着出来る程、

さすがは没後10年近くを経た現在もスウェーデンの大音楽家と謳われている、

グスタフ・ダーエ氏の屋敷が目の前にあった。

しかし長い間人が住んでいなかった様子は雪が降り積もっていてもわかるほど、外観も庭も荒れきっていた。

煙突から出る煙は中にいるクリスティーヌを暖めてくれているのだろうか・・・

クリスティーヌの姿を求めた長旅も終わりを告げたが、この先を進む勇気がどうしても湧いてこなかった。

私の姿を捉えた後、クリスティーヌはきっと心からの軽蔑の眼差しを私に向けるだろう。

そんな彼女の表情を想像すると、恐ろしくてどうしてもたったの一歩を進み出る事が出来なかった。

しかし─

重厚な玄関の扉が開く。

そこには私が求めてやまなかった、愛するクリスティーヌの姿があった。

「マスター・・・!」

「クリスティーヌ・・・」

お互いそう呼び合ったまま、暫く見つめ合って立ち尽くす。私と同じようにクリスティーヌも

瞳に涙を滲ませているように見える。

自分の涙でそう見えただけかも知れない。

「クリスティーヌ・・・・・」

「マスター・・・どうかお入りになって・・・凍えてしまいます」



促されてゆっくりと屋敷の中へ足を踏み入れた。

「マスター、よくここまでおいでになりましたね・・・」扉を閉め、うつむき加減で雪でびしょ濡れに

なってしまった私のマントを取りながら呟く、会いたくて堪らなかったクリスティーヌ・・・

「・・・お前にどうしても会いたくて・・・」

湧き上がる愛しさに彼女の両頬にそっと触れようとしたが、ビクッと体をこわばらせ、後ずさりする。

「!・・・ごめんなさいマスター・・・私はまだマスターを怖がっているんです・・・ごめんなさい」

「いや、私こそすまない、もうしないよ・・・」


リビングの暖炉の前のソファに腰掛け、クリスティーヌが淹れてくれた熱いコーヒーのカップを

両手で包み時々飲みながら暖をとる。

屋敷の中に入って初めて自分が凍えている事に気がついた。

クリスティーヌはびしょ濡れになってしまった私のトランクを拭き、暖炉の近くに椅子を置き

マントを掛けて乾かしたりしてくれていた。

しばらくは何も話さずにいたが、そのうち用を終えたクリスティーヌもカップを持って

暖炉の前のもう一つのソファに掛ける。

「マスター、驚きましたわ。本当によくこんなに遠いところまで・・・」

私はカップをテーブルに置き、クリスティーヌに向き合う。わずかだが彼女の肩が震えたように見える。

「クリスティーヌ、すまなかった。

        ・・・・許して・・・欲しい、

 いや、許せなどとは言えない!しかしせめて、せめてお前のそばに置いてはもらえないか。」                        

彼女はしばらくは複雑な表情を浮かべ、動揺し視線を下に落としている。




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