クリスティーヌの手を引いて、回廊を渡っていく。

私に手を引かれている彼女が突然消えてしまわないかと不安になり、

彼女の手を引きながら、何度も何度も彼女の方を振り返ってしまう。

彼女の手を引きながら歩いていると、ふとそれは私の作り出した幻影だと気づき、

そう気づいた瞬間、彼女が消えてしまうという悲しい夢を幾度も見ていた。


けれど、何度振り返っても彼女はいなくならなかったし、そればかりか、

常に私を見つめながらついてきてくれていた。

目が合うと優しげに微笑んでくれ、その笑顔を見るだけで気持ちが満たされていく。

トーチで彼女の足元を照らしながら降りる階段は暗かったけれども、

彼女とふたりで闇に包まれているのは心地よかった。

いつまでもいつまでも、このままクリスティーヌの手を引いて歩いていたい……。


階段の踊り場で、幾度か立ち止まっては口づけを交わす。

彼女が優しく舌を絡めてくれるたび蕩けるような歓喜が湧き上がり、

このままふたりで肉体の殻を脱ぎ捨て、融けあってひとつになれたら

どれほど幸福だろうかと思う。


湖を渡す舟に乗るとき、クリスティーヌは私の差し出した手をしっかりと握り、

嬉しそうに私を見上げて微笑んでくれた。

握られた手で彼女を引き寄せ、肩を抱いて口づける。

舟が大きく揺れ、慌てて身を離すと、ふたりで顔を見合わせて微笑みを交わした。

ふたたび笑顔の彼女とこうしてこの舟に乗ることができるとは……。

眼も眩むような幸福とは、こういうことをいうのだろうか……。


しかし、地下についてしまうと、却って居心地が悪くなってしまった。

クリスティーヌが部屋の様子を目にし、二週間前の私の非道を

思い出しているのではないかと不安になる。

部屋の真ん中でしばらくぼんやりしていたのか、

気づくとクリスティーヌが私の背中に顔を押し付けていた。


身体の向きを変え、彼女の手を取った。

「クリスティーヌ、クリスティーヌ……! 

許しておくれ、おまえにあんなひどいことをして……。

私はもうおまえに愛してもらう資格などないんだ。いや、元々なかったのだが……」

クリスティーヌが私の目を見つめて言った。

「エリック、私の方こそごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはなかったの、

ただびっくりして……、もちろん、それだってあなたを傷つけてしまったことには

変わりないけど……。

もし、あなたが私を許してくださるのなら、私もあなたを許します、エリック……」

「もちろん、許すとも。誰だって驚くし、誰だって恐ろしいに決まっている……」

「エリック! どうか、そんなふうに言わないで……!

……楽屋での時はあなたがやきもちを焼いているだけなんだってわかっていたから、

ちっとも怖くはなかったの。

でも、この間のときは本当にあなたが怖かった……。

もう二度とここへは来るまいと思ったわ」

そこまで言うと、クリスティーヌはあの折のことを思い出したのか、

言葉を切ってうつむき、はらはらと涙を零した。


「クリスティーヌ、本当にすまなかった……、いくら謝っても許されることではないが……」

クリスティーヌの前に跪き、彼女の手の甲に額を押しつける。

悔恨の涙が溢れた。


クリスティーヌが顔を上げ、私の手を引いて私を立たせる。

ふたたび言葉を続けた。

「でも、いつもあんなに優しかったあなたがあれほどお怒りになったのは、

余程のことなのだと思えてきて、それはきっとあなたが私を愛してくださって

いればこそなのだと思えてきて……、自惚れかも知れないけど……。

そして、自分がどれほどあなたを愛しているか、よくわかったの……。

だから、あなたに会って謝って許してもらえたらと思って……」

「クリスティーヌ、おまえが謝らなければならないことなど、何ひとつないよ。

私は自分の正体を隠したまま、おまえを抱いたのだ。

おまえが私を好きになってくれたら本当のことを言おうと思って……。

しかし、それだっておまえを騙したことには変わりないのだから。

おまえが私の素顔を見てみたいと思うのは当然だ。

誰だって、自分の愛人の顔ぐらい知っていたいものだ……、そうだろう?」

「エリック……」


私の問いには答えず、クリスティーヌがふたたび私に身を寄せ、

私の胸に頭をもたせてくる。

愛おしさのあまり、気が狂いそうだった。

どれほどこの女を愛していることか……。


朝から通し稽古をし、つい先刻主演をつとめ上げてきたクリスティーヌのために

食事の仕度をする。

この二週間というもの、ものも喉を通らないような状態だったので食料の貯えもなく、

パンと冷肉、チーズしかない夕食になったが、それでもクリスティーヌは喜んで

それらを食べ、私はといえば、胸がいっぱいで、やはりものなど喉を通らないのだった。


疲れているであろうクリスティーヌのために風呂を用意しようとしたが、

元の彼女の部屋を使いたくないのではないかと思い、さりとて、

あとは私の部屋しかないので、彼女に恐る恐る聞いてみる。

「クリスティーヌ、私の部屋でよければ替わった方がよくはないだろうか?」

「どうして?」

「その……、おまえの部屋は……、あの時の……」

「まぁ、別に大丈夫よ。ありがとう、エリック」


風呂を用意し、彼女におやすみを言う。

「つもる話は明日しよう。今夜は疲れているだろうから、もうおやすみ」

クリスティーヌの美しい白皙の額に口づけし、しばし迷った後、

唇にも口づけを落とすと、自室に引き取った。


あれほどの非道をはたらいた私を許してくれたばかりか、私を愛していると

言ってくれたクリスティーヌに、私は一体どう報いたらいいのだろう?

クリスティーヌを世界中で誰より幸福な女にしてやりたい、

そのためにはどうしたらいいのだろう?


そんなことを考えながらぼんやり座っていると、ふいに扉を叩く音がした。


扉をあけると、化粧着に着替えたクリスティーヌが立っていた。

「どうしたね? 湯がぬるくなってしまっているのか?」と問うと、

頭を振って、「お風呂にはもう入りました」と言う。

「……では、やはりあの部屋を使いたくないのかね?」と聞くと、

私の問いには返事をせずに、クリスティーヌが抱きついてきた。

「クリスティーヌ……?」

「エリック、エリック……、ずっとこうしたかったの……」


突然のことに戸惑っている私を見て微笑むと、クリスティーヌが私から身を離し、

ゆっくりとローブを肩から落とした。

呆気にとられたまま見つめていると、彼女は時折恥ずかしそうに私を見るものの、

ほとんど躊躇うことなく、脱ぎ去った衣服を下へと落としていく。

彼女の肌が次第に顕わになっていくのを見ながら、私は、ただ呆然とその場に

立ち尽くしていた。


やがて、シュミーズと下着だけになったクリスティーヌは、さすがに顔を真っ赤に

染めながら私の方へと近づき、私のベストのボタンに手を掛けた。

彼女の手が顫えているのに気づき、はじめて我に返った私は、彼女を制してから

自分の衣服をすべて脱ぎ去った。

そして、クリスティーヌの身につけているわずかばかりの下着を脱がせにかかった。

私の肩に手を掛け、羞恥にうち顫えながら下着を脱がされていく彼女の頬の紅みを見て、

どれほどの勇気を持ってここへ来てくれたのかがわかり、目頭が熱くなった。


ともに一糸纏わぬ姿になった私たちは、この世で初めて生まれ出た男女のように、

互いを見つめ、それから互いの半身を埋めるように抱きしめあった。




back  next











SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送