706 :ファントム×クリス(再びスウェーデン編) :2005/09/16(金) 20:47:27 ID:Wgn4ppJG


病院のベッドで、治療を終えたクリスティーヌは休んでいた。

シャニュイ子爵による性的暴行の治療ではない。

喉を指で圧迫した暴力の結果、

閉鎖型損傷により声帯の片方が麻痺状態にあった。

窒息こそ免れたものの、現在の医療技術では再びあの美しい声を奏でられる、どころか

普通に声を出し話すことすらもう不可能な状態になっていた。


怒りと憎悪に震える私にクリスティーヌは、

 『ラウルを、怨まないで、欲しいの、私が、悪いのです、』


と、痛々しい姿で涙を流しながら、唇を動かし必死で訴える。

  『ごめんなさい、ごめんなさい…』


彼女の手を頬にあて、私は泣きながら首を振り続ける。

お互いの手を握り続け、クリスティーヌと私は一緒に涙を流し続けた。

どうしてこんな事になってしまったのだ…

何故?

やっと今頃になって、金の指輪が地下の住処にも彼女の指にも無いことに私は気がついた。

悲しくて、そして申し訳なくて私は泣いていた。

1年前、私もクリスティーヌに強姦を働いていた。

私も子爵も、クリスティーヌを苦しめる男でしかないのか?




子爵が病院に来ることはなかった。


フィリップ伯爵が頻繁にオペラ座を訪れていたのは、クリスティーヌの家柄や血筋を調べる為で、

そしてマダムに2人を近づけないように申し入れしていたのだ。

もちろん、幼少の頃よりクリスティーヌを愛していた子爵は、

侯爵家の令嬢との結婚話を拒否していたという。


しかし帝政崩壊と普仏戦争に伴う国内の経済不安、そして伯爵の事業の失敗、

シャニュイ家は侯爵家からの援助がないと存続出来ない事態となり、

「お前の大好きな歌姫のいるオペラ座への援助も出来なくなる」

との兄の言葉で、子爵は長い間悩み続けていたようだとマダムから聞いた。


そして病院ですべての事情を知り、子爵の立場を考えてのことだろうクリスティーヌが、

   「ラウルとはもう会いません」

とはっきり意思表示をした事で、子爵はクリスティーヌからの愛はもう得られないと悟ったのだろうか、

自分の屋敷に閉じこもったままだという。




私は毎日深夜に病院に見舞いに来ていた。

ただ、手を握り合って、クリスティーヌは唇を動かすだけで私と話し続けた。

心も体もこれ以上はないというくらい傷ついたはずなのに、

嬉しそうに微笑んで、私が来るのを喜んでくれる。

健気で可哀想なクリスティーヌ…

私はいつまでも優しく髪や顔を撫で続けてやり、話し続けた。


退院まであとわずかという夜、見舞いを終えオペラ座に戻ると、

暗がりの中でマダム・ジリーが立っていた。

「ムッシュー、何も言わず私の部屋へ来て下さい。

 誰にも見つからぬように…」

ただならぬ様子ではないマダムの言う通りに、

まるでこのオペラ座に初めて来た時のように彼女は私を先導し、自室に招いた。




私は警察に追われる身となっている、とマダムから聞かされた。

オペラ座内で遺体となって発見された大道具主任の傍に、

黒いリボンを結んだ薔薇が落ちていたという事だった。

そこから支配人どもが、

「犯人は“オペラ座の怪人”に違いない!彼を、人殺しを捕らえろ!!」

と騒ぎ立て、

警察は現在既に私の地下の住処に向かっているという。

マダムが私の無実を証明しようと尽力してくれたようだがそれは無駄に終わったようだ。

どんな経緯で私がクリスティーヌに贈った薔薇が、

その大道具主任とやらの遺体の傍に落ちていたのかなどとは、皆目見当もつかない。


しかし、もはや私はオペラ座に、いやパリに、フランスにはいられなかった。


マダムがしばらくは私の部屋で暮らすように、と申し出てくれたが

「貴女の立場というものがある。もうこれ以上、迷惑をかけるわけにはいかない」

と有り難く断り、

長い間の感謝を込めて一度強く抱き締め、彼女の両方の頬に口付けをし、

そして最後に額に長く唇を押し付け、私はオペラ座を去った。




これからどこへ行こうか…


ひとり姿を消す前にせめてもう一目と思い、

再びクリスティーヌの病室に向かう。

しばらく、いやどのくらい会えなくなるのだろう…

今のこんな状態のクリスティーヌから離れて暮らすのはあまりにも辛い。

本当に悲しく、寂しい。


クリスティーヌは退院した後、またオペラ座で舞台に立てるだろう。

おそらく、台詞のない小姓役などで。

一度歌姫として脚光を浴びた彼女の、そのような姿を思い浮かべてみる。

一体何の為に?

この10年間の私たちの努力は何だったのか?

と虚しさが募る。

そして、子爵との事はもうオペラ座中の噂となっているはずだ。

そんな中でクリスティーヌは暮らしていけるのだろうか…




静かに病室に入り、しかし扉を閉めた音でクリスティーヌはぱちりと目を覚ました。

「すまないクリスティーヌ、起こしてしまったか」

痛々しい姿で、しかしにっこりと私に笑いかけ、上半身を起こし、

握って欲しそうに両手を差し出してくる。

そっと手を包み込むように握ってやり、

「その、……実は、私は…」

そう言いかけたが言葉が詰まってしまい何も言えなくなってしまった。

しばらくすると、彼女は私の手を強く握り返し、


  『マスター、私、お母様に会いたい、』


と唇を動かした。涙が彼女の頬を伝う。


「そうか…そうだな、

  …うむ、退院したら会いに行こうか……」




マダムの一人娘メグ・ジリーが、

クリスティーヌの私物を病院に持って来てくれた。

ほとんど荷物はなく、軽いものだった。


寄宿舎の隣のベッドの仲の良かった友人とやらはその時すでに、

クリスティーヌより先にオペラ座を出て行っていたということだった。

新しく出来たとかいう貴族の恋人と結婚する事になり、既にその貴族の屋敷で暮らし始めているとの事だった。

最後に挨拶を出来なかったことが、後々もとても残念だったとクリスティーヌは悔やんでいた。


廊下でメグから、蝋まみれの変形した金の指輪を渡された。

マダムが見つけたのだという。

クリスティーヌは、きっと今この指輪は見たくもないと思う。

新しく作った指輪と一緒に、今は私が大事に持っておこう。

いつかクリスティーヌが、一緒にはめたい、と思える時まで…


スウェーデンへ向かう汽車の中、2人で車窓の景色を見ていた。

クリスティーヌは歌姫としてこの時はとても有名になっていたので、人目を避ける為、

私と同じような黒いマントにフードを深々とかぶり、寄り添いながら、

私たち2人は北の国へひっそりと旅立った。



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